おかげさまでありがとうございます。

 

 驕れる者は久しからずという言葉がありますが、驕りを持つという事は非常に怖いこと危険なことだと思います。

 先月の夜中の行の護摩のお話をさせていただきます。九月の夜中の行より、護摩が消える事なく上がるようになって運気が上向いている事を感じさせて頂いております。その中でも十月の夜中の行の護摩は種火が一際大きくつきました。しっかりとついた種火は釜の中に入れても櫓に組んだ線香の上まであがるほどの勢いでした。そんなに勢いのある種火でしたが、なかなかそれ以上は上がらず一瞬消えるのだろうかと思わせるような瞬間がありました。幸いにも消える事なく火は上がり、上がれば勢いのある良いお護摩となりましたが、このお護摩には知らされる事がたくさんあると思います。運気が上向いているという事は間違いありません。ただ、ふとした心の緩みで全てを失ってしまう怖さもあると感じました。心の緩みというのは驕りからきます。私達が今持っている全てのものは神から与えられたものです。命も生活に必要な物も全て神の御加護によって有り難くも与えて頂いています。それなのに自分の手で掴み取ったという驕りの気持ちが芽生えたら、本当の感謝を忘れてしまい心の緩みになるのだと思います。その心の緩みから崩壊が始まります。ご自身が手に入れられたものは、ご自身の努力の賜物である事は間違いないと思います。しかし、努力すれば必ず与えられるものなど何一つありません。頂いて当たり前のものなど何一つ無いのです。自分で勝ち取ったという驕りの心を持たず、与えて頂いた喜びを感じて感謝していただきたいと思います。

 私事ではありますが、今月一週間、滝と護摩の行をさせて頂きたいと思っております。これは今年の一月に妙浄先生が危ないとなった時から決めていた事です。まず、妙浄先生が目を瞑られたら一年間喪に服すべきだと思いました。そして一年後に妙浄先生の御会式をさせて頂こう、それが終わってこそ、主管の交代である晋山式が出来ると思いました。そして、その晋山式を迎えるまでに必ずどこかで行をさせて頂きたいと思い、心に決めておりました。私自身は幼い頃から、跡継ぎだと言われて育ちましたし、何年か前の天啓の折にはくす玉が割れて法脈が続くというご啓示を頂き、神から二代目として認められたと言っても頂きました。また何となくの空気から、妙浄先生亡き後は私が二代目となる事を信徒のみなさまも受け入れて下さっていると感じております。ただ、そういう事とは別として、私自身が今のままでは主管の座につくという事はしてはいけないと思っております。誠心誠意の行をして、その座につく事に対して神の許しを請わなければいけないという強い思いがあります。行事の都合などで一週間の行を出来るのは今月しかないと思いますので、お時間をいただいて行をさせていただきます。

 私は、天啓の折の「この世の者を救う為に母の胎内に宿した」という言葉が、この太魂院の存在意義だと思っております。神に仕える者として、この世の人を救う為に、神の御加護が最大限にみなさまに届けられるように、生涯を通して自分を磨いていくつもりです。どうか、受け取られるみなさまも、余す所無く神の御加護を受けられるようにご自身の心を磨いていただきたいと思います。太魂様の御加護のもと、みなさまが益々お幸せになられます事を願っております。

 

 おかげさまでありがとうございます。

合掌

浅田 芳順

(令和四年十一月一日 法話より)