御回向のありがたさ(40代男性) 

私は教会に来させていただくようになるまで、先祖供養というものをしたことがありませんでした。親しい身内が亡くなったときでさえも、お葬式等は手続きとしてこなしながらも、それ以後のことはまったくで、年忌についても親戚がやってあげる、というのに乗っかってるだけ。もちろんお墓参りも始めに1回行ったきり、という今から思えばどうしようもない状態でした。でも仲の良い友人らは、そういう私を見て「お墓参りくらいは行くようにした方がいいよ」とよく言ってくれていましたので、そういうことに意味を見いだせないでいながらも、どこか心に引っかかってはいました。 
そんな時に教会にご縁をいただき、回向護摩法要に感銘を受け、ここに任せておけば間違いがあるはずがない!と思ったのでした。それでも最初はどこまでやっていいかもわからず、「あまり最初から無理をして、続かないとなるとその方がよくないから、徐々にやらせていただけるだけやったらいいですよ」と教えていただいたので、まずは合同先祖供養から始めました。
最初は右も左もわからない状態ですのでただ座っているだけ、みたいな状態でした。ただ、ご回向の後に先生方からいただけるお言葉で、「ああ、仏様はそう感じられるのか」とか「まず心があってこそ通じるものなのか」といったことを基礎から教わることができ、そのことがとてもありがたいことだと思えました。
それからだんだんとご回向していただく回数も増やさせていただけるようになり、まだまだ途上ではあるものの、心構えも初めのころよりはましになってきたかなと思います。
それもこれも太魂様と先生方のお導きのおかげです。これだけの頻度、これだけのクオリティで先祖供養をしていただけるところは他にないのではないかと思います。回数を重ねれば重ねるほど、ありがたく思う気持ちもまたいや増していくようです。これからも続けさせていただくことで、ご先祖様にいかに浮かばれていただけるのか、またそこで自分が感じるありがたさがいかなるものになるか、楽しみに思えるほどです。
誰彼構わず勧めたいと思える、このような素晴らしいものがすぐ近くにあるということそのものに、感謝致します。
おかげさまでありがとうございます。